死者の月に考えなければならない大切なこと

死者の月に考えなければならない大切なこと
 先日、学校の職員会議で講話をした折に「追悼式」について簡単に話をさせていただきました。「追悼式に考えなければ
ならないことは3つあります。

 一つ目は、亡くなった方々のために個人的に祈るということです。個々人の中で親・兄弟・姉妹・親戚知人が亡くなって
いる方もいらっしゃると思い
ます。その方々を思い起こし、その方々の魂の安らぎを祈るということです。  二つ目は、亡くなった方々が、この地上で生活する私たちのために祈ってくださるように祈ることでもあります。私たちは、
基本的に父と母の間に
生まれ、父も母もそれぞれさらに父と母によって育てられているということを考えるとき、私たちの
祖先があったからこそ私たちが存在する。それを
感謝すると共に、その先祖たちも私たちのことを見守ってくださっている
ことに気が付かなければならないのです。亡くなった先祖たちや祖父や祖母、
両親に神からのお恵みを取り次いでもらうよう
に祈ることなのです。(これは諸聖人の通交という考え方をより分かりやすく説明したものです。)  三つ目は、同じところで追悼ミサにあずかるすべての人たちの亡くなった方々のために神様に祈るということが求められる
のです。これは個人の
物故者のためにではなく、参加されたすべての人たちのために祈ると同時に、参加されたすべての人
たちの中にいるそれぞれの物故者が、天国での
安らぎを得るように祈っていく必要があるのです。  この三つの事柄が、追悼ミサの時になされます。でも身内も誰もいない無縁仏のお墓もあります。だからせめて一年に一度
彼らを思い起こし、
彼らがまだ煉獄で苦しんでいるなら一日も早く天国への門をくぐり神の救いにあずかれるように祈るのです。  このように三つの意向をもって祈りましょうとお話させていただきました。これは教会も同じです。前にも言いましたが、
死者と私たちの関係は
深いものがあります。天国に行ったかどうかで祈りをしたりしなかったりの世界ではなく、亡くなった
方々が天国に行っても私たちが祈り続けると
きに、私たちの上に恵みを神様に取り次いでくださるのです。  「はっきり言っておく、一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが死ねば多くの実を結ぶ。自分の命を
愛する者は、それを
失うが、この世で自分の命を憎むものは、それを保って永遠の命に至る。」(ヨハネ12章24~25参照)  前にも言いましたが、私の母は亡くなる一週間前にこんなことを言いました。「天国で父さんと母さんに会えるだろうか?」
と。かなり痴呆症も
進んでいましたが、私はその時に思いました。「私たちが死を超えて希望を持てるのは、亡くなった方たち
に天国で会えるかどうかではないか」と
気が付いたのです。突然の死以外、孤独で淋しくて一人でその死に向かって歩まなけれ
ばならなかった私たちに残されたものは、先に逝った人たち
との再会ではないでしょうか。  上述した「一粒の麦」のみことばは、もちろんお分かりになっていると思いますが、この世の私たちが生きる生き方でも
あります。小さな事かも
しれませんが、母が自ら私に残してくれた大切な教訓でもあります。亡くなった時にいくつかの身に
着けるもの以外は全部処分して亡くなったと
いう事実でした。 今考えてみると、戦前・戦中・戦後を生きた人でしたから、私のような人間が見るとガラクタにしか見えないものでも、物が
ない時にはとても役に
立ったというものが山になるほど置かれていたのです。そういうものを二、三年かけて処分していました。 「一粒の麦が地に落ちて死ななければ」というみことばは、実はこの世の自分のものに対する執着を断ち切るということなの
かもしれません。
いつか必要になるだろうというこの世のことではなく、いつでも神様のもとに呼ばれたときに応えることが
できるように準備をしておくということ、
執着に死ぬという意味もあるように思います。 同じように、これからまだ先があると考えている人にとって、これがなければ生活できないとか、この生活習慣を捨てることが
できないとか必要と
いうことばかり考えて、物や人や、生活習慣を見直す(死ぬ)ことができなかったりするのです。 先週、5年生がみろくの里で坐禅黙想会を1泊2日で行いました。その時にご指導いただいたのが枡野俊明(ますのしゅんみょう)
さんという曹洞宗
の立派なお坊さんでした。その方が新しい本をくださったので、表紙を見ますと「持たないという幸せ」と
いう本の題名でした。禅の修業をしていると、邪魔になるのは「我欲や執着、妄想や嫉妬」という煩悩である。そういうものを
捨てる練習が坐禅であると言われていま
した。その通りだと思います。カトリックの言う「一粒の麦が地に落ちて死ななければ」
という意味もそこにあるようにおもいます。自分が何を
捨てて、何を大切にして生きているかということがわからなければ、
捨てようもないのです。だから、今のままでよいという心の持ち方を見直し
なさい。見直さなければ、天国に行くことなど
できませんよと教えているのではないでしょうか。  長崎の佐世保に帰ると、最初に行くのは小さいころ育った、我が家です。今は新しい家が建ち、面影も何も残っていません。
ですが周囲は昔の
ままです。古いお墓が今も昔のように残っていますし、畑や田んぼもそのままです。お墓の入り口で佇み
ながら懐かしさに心が震えてくる時も
あります。そういう故郷を誰しも持っています。  聖パウロは「私たちの故郷は天国です」と言って憚りません。行ったこともない天国を故郷とどうして言えるのでしょうか。
それは、パウロが、
人間が生まれた瞬間に、死ぬべきものと定められたことを知っていたからです。 この世は、仮の住まいであることを知っていたからですし、本当の故郷が天国にあることをパウロはこの世の苦しみの意味を
イエス・キリスト
の生涯から学び、確信していたからなのです。  私たちの信仰は、一体どの方向に向かっているのでしょうか。天国でしょうかそれともこの世の事柄でしょうか。死が盗人の
ように来ることを
体験していながら、私たちはこれからもこれまで通りに生きていこうとするのでしょうか。死について考える
ことができるひと月とすることが
できますように。 Michiharu Yamaguchi

7月号

6月号

「死について考えたこと」

                                                                   山口道晴

 

 先日、東京で知り合いが亡くなりました。亡くなったかたの息子さんからの知らせでお葬式も全部終わってからの連絡でした。その方は私に「父は、最後まで苦しんで息を引き取りましたが、心は穏やかだったように思います。」という言葉をいただきました。

実は、その方の奥さんが亡くなられるのに、20数年前に私は立ち合いました。奥さんは、40代の半ばで、子ども二人を残して亡くなられるということで、非 常に苦しまれているように思いました。でも最後を看取りに病院に招かれ、病者の秘跡を執り行う時に苦しい息の下から言われた言葉を忘れられないのです。

 

「私は、二人の幼い子どもを主人の手に託して旅立たねばなりません。非常に不安で、どうしてこういう運命になったのかと神様を呪い、恨みました。でも上野 教会の神父様が言われた言葉で、死んでいく勇気をいただきました。」と言われるのです。黙って聞いていましたら「その神父様は、『人は必ず死ぬのですが、 意味の無い死など一つもないのです。なぜなら、神様と私との関係の中で神様はいつも計らわれるからです。あなたの都合や自分たちの都合で何かをお決めにな るのではなく、神の深いご計画の中で働かれることを忘れてはなりません。』と言われて初めて、私たちの思いを越えて働かれるのが神でありすべてを神に委ね る練習が必要だったのです。」と言われて2日後の朝方亡くなられました。

 

もしかしたら、私の何十倍も、旦那さんはお分かりだったのかもしれません。すべてが神様の御手の内にあり、私たちの思いを越えて働かれる神のみ旨の内にあ ることを奥さんが亡くなられた後、ずっと考えていたのではないでしょうか。そして、自らが亡くなる時も、神様のみ旨に誠実でありたくて日々練習されていた ようにも思います。どんな苦しいときでも、孤独の中でもそれを神様のみ旨として受け止めようと祈っておられたのかもしれません。だからどんな苦しみの中で も「穏やか」だったのです。

 

人の命は、儚くもありますが、しぶとく肉体から離れることを拒否します。まるで肉体と一つであり、離れて暮らすことなどあり得ないとでもおもっているよう です。しかし、死ぬときその思いはすべて消えてしまいます。つまり私たちの思いの深さがどんなにあっても、神様がその命の火を消されるときが必ずやって来 るのです。その主体はいつも神側なのです。どんなに死にたくないと思っても奪うのは神様なのです。どんなに辛くとも、どんなにこの社会に執着を残していて も、その時が来たら神様に任せるしかないのです。


 そこで聖書の教えが私たちの心にようやく届くのです。私はときどき思います。ファリサイ人や律法学士を非難されるキリストの姿がありますが、読む私たち は、いつも他人ごとです。この世の執着にまみれたファリサイ派の人や律法学士のこの人々は、実は、私たちのことなのです。と平日の朝ミサのなかのオメリア でいつも言っている言葉です。神の名を借りて都合よく生きている姿は、私たちの姿のような気がしてなりません。

 

 だから目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなた方にはわからないからである。このことをわきまえていなさい。家の主人 は、泥棒が夜のいつ頃やって来るかを知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう。だからあなたがたも用意していなさ い、人の子は思いがけない時に来るからである。(マタイ24章42節~44節)

この箇所からもよく分かる通りに、自分の死がいつ来るのか分かっていれば準備をするのです。ですが何時いかなるときかが分からないのが我々人間の宿命なの です。つまり準備のしようがないということになるのでしょうか。いいえそうではないのです。キリストは「いつでもその時が来ても良いように準備をしておき なさい」と言われているのです。

 

日々の生活の中で本当に準備をしていくとは、日々いつ死に招かれても良い練習をするということです。佐賀県の鍋島藩で武士が読んでいた「葉隠」という武士 の心構えを教えた書物の中に、日々どうところで、どんな危険が待ち構えているかを知り、日々死ぬ練習をしなさい。日に何度でも死を疑似体験しなさい。刀で 切られたらどんな痛みなのだろうか、トラに襲われたらどんな苦しみなのだろうか等々。そうやって鍋島藩の武士たちは、死を恐れない武士たちであったと言わ れています。

 

そのように、いつでも死を意識し日々を送るように勧めているのです。まず死を意識して、余計なものは捨てる、物に対する執着を捨て物を手に入れない。祈り の習慣、神様にすべてを委ねる練習をしっかりと身に着け、信仰をしっかり持つ。持っている荷物を整理する。私の尊敬する司祭の最後は、机の上に一冊の聖書 だけがおいてあり、後は何も持っていなかったという司祭のことがあこがれです。亡くなられた人たちを思い起おこし、死者から大切なことを学ぶひと月であり ますように。



7月には聖書を読もう


                                                                                  山口道晴

 

 5月の最後の木曜日に、学校の下の修道院で聖書の勉強会を開きました。保護者や卒業生のお父さんたちが対象です。一昨年までは、純粋にお父さんばかりでしたが、夜にしか参加できないと言うお母さんも現れて、今は紅一点の存在となっています。毎回10人前後の人が仕事にやりくりを付けて参加して下さっています。聖書の専門ではない私のような司祭から説明を受けてますますわからなくなっているのではないかと時々不安になります。

 

 毎朝6時半からミサを行っていますが、何人かの方々がミサに参加してくださっています。その参加者に向かって福音書の解説を試みています。3分くらいの短いオメリアですが、これだけは前日には準備をしません。聖霊の息吹にふかれるように、聖霊に助けを願ってその時に浮かんだ考えを口にします。第一朗読に心が惹かれる時もあるのですが、頑なに福音書だけを解説しています。そうやってもう何年たつのかはわかりませんが、広島に来る前からずっとしていたように思います。

 

 雨宮神父様の本「なぜ聖書は奇跡物語を語るのか」という本の中で、聖書の話について次のように説明しています。「聖書は、単にあった出来事をできるだけ客観的に書いた書物ではない」と言っています。では何のために書かれたものなのでしょうか、「聖書は、歴史書ではなくその出来事の背後にひそんでいる意味なのです」と書いています。シンボルや詩的表現を使って理解した意味を伝えようとしたのではないかと言います。

 

 さらに具体的な一つのこととして「万軍の主」という表現を指摘します。これを読んだ人は、客観的に書かれたものであるとすれば、「旧約の神さまは、戦争の神ではないか」と疑問視するかもしれません。しかし、聖書のこの言葉を詩的表現として受け止めるならば、違う意味となるのです。「万軍」とは、夜空全体に広がる星を意味しています。夜空の星も、2000年以上も前の中東では、星の光を遮る人工の光などありませんでした。空一面に広がる星空は、見る人を圧倒します。

 

 私が、個人的に黙想会をミクロネシア連邦のポナペ島で行った時に、夜中に窓から幾つもの輝く宝石のような光を見たことがありました。外に出て見ると本当に空一面星で埋まっていました。何とも言えない背中がぞくぞくするような星の光に圧倒されたことを覚えています。水平線から山際まで隙間なく散りばめられた星を思い出します。

 

 話をもとに戻しますが、「万軍」とは、夜空一面に広がる星を意味しています。夜空の星は人を圧倒するような力をもっていますが、その星空の力強さが、町を守る軍隊のイメージと重ねられ、神の救いの力の確かさを強調する表現とされたのです。

 

 奇跡の話にしても、例えばマルコ6章45節~51節までに、イエスが5000人にパンを与え、祈るために山に行かれたことが書いてありました。弟子たちだけが船に乗って別の場所に移動していたのです。嵐にあって立ち往生していた時にイエスが湖上を渡り船に近づいて来られ、その船の横を通り過ぎようとされたのです。この「通り過ぎようとされた」と言う言葉に意味を見出す必要があったのです。

 

 船の傍を通り過ぎるイエスの姿は、読む人にとって疑問の残る行動です。なぜ困っている弟子たちをおいて横を通り過ぎようとされたのか。イエスらしくないではないか。どういう意味があるのかという疑問です。

 

 その意味がどのようなものであったのかを説明するために、雨宮神父様は次の三つの旧約聖書の箇所を示されています。出エジプト記33章22節、同掲書34章6節。そして列王記19章11節です。この3つの箇所は、「通り過ぎる神」の姿が描かれているのです。

 

 嵐で立ち往生する船の傍を通り過ぎようとされたのは、イエスさまでしたが福音の中では、通り過ぎられたのが実は神であり、その神はイエスであったことを読むものに伝えようとしたのです。聖書を何度も聞きながら、実際には目で追いながら読んでいるのに、実は何も見えていなかったのではないかと反省させられる話です。

 

 聖書を読むとは、ただ聖書に触れると言うことだけでは足りないのです。心の目と耳を開いて聴くことが求められているのだと言うことが言えるのではないでしょうか。まず読んで見ること、聖書の中に書かれてあるイエスの姿を心に留めることから始まるのでしょう。そして何よりも聖霊の助けを祈ることが求められているのです。そして可能であれば聖書の解説書を紐解いてみることを通して今まで気が付かなかったイエスの出来事の意味に触れることが出来るようになるのではないかと思います。新しい世界が開けそうです。



ロザリオの祈りは、マリアさまの心


                                                                                    山口 道晴

 

 今から30年前にアイルランド・スペイン・ポルトガル・フランスを旅したことを毎年5月になると思い出します。ローマで勉学中ではありましたが、夏休み を使って一人旅したことがありました。それぞれの国にあるパウロ会の修道院を訪ねてお世話になりながら楽しい一人旅でした。

 

アイルランドだけは、カルメル会。普通は原点回帰の改革が及んだ修道院は、頭に跣足(裸足-はだし)カルメル会と名前が付くのですが、アイルランドまでは 改革が及ばなかったのだとそこの院長をなさっていた神父様が話してくれました。改革の中心はスペインの有名な聖女、アビラの聖テレジアと十字架の聖ヨハネ がその役割を担ったと言われています。その修道会に3か月もお世話になりました。アイルランドの教会もスペインの熱狂的なマリア信仰とは違いますが、午後 5時からのミサに先立ちロザリオの祈りが一環、瞬く間に唱えられていました。英語もイタリア語もスペイン語もアベマリアのお祈りは、よくまとめられてい て、リズムよく唱えられているという感じがしました。

 

 スペイン・ポルトガルは、平素でもマリアさまの御像の前にはたくさんのローソクが灯され、ミサを行っている時でも、マリアさまの前で大きな声でロザリオ を唱えていた光景が思い出されます。もちろんそれは、本末転倒であることは分かり切ったことでもあるのですが、熱狂的な信者さんには分かってもらえないと マドリッドの修道院の神父様が話してくれました。

 

 それが5月のマリアさまの月になるとさらにヒートアップします。月の初めか終わりに聖母行列が行われます。その時に合わせて着るものが新調され、さなが らファッションショーのようになってきていました。もちろん聖具もピカピカに磨かれ、ロザリオが飛ぶように売れると言うことで、多分家庭には家族の数のロ ザリオが毎年増えて行っていたのではないかと思います。それほどロザリオは唱えることは当たり前ですが、亡くなった時にそのロザリオが棺の中に入れてもら えるのだとイタリアでは言われていました。

 

 ロザリオの祈りがともかく大切にされているヨーロッパですが、家庭の中でのお年を召した方たちが、暇があるとぶつぶつ口を動かしながらロザリオを手に 持って祈っている姿は、心に深く残る風景でした。私の母も私が幼いころから、悩みがある時、子どもが問題を起こしたときにはいつも祈っていました。農作業 をする母のごつごつした手がロザリオを爪繰る様子が、自分でロザリオを唱えるときなぜか思い出してしまいます。晩年は特にいつも子どもたちのために祈って いたようです。

 

 もともとロザリオは、起源についていろいろな説が語られていますが、もともと修道生活から始まったものだという説があります。

 

 修道院の中で、歌隊修道士と労働修道士に分けられていた時代がありました。歌隊修道士と言うのは、司祭のことです。彼らは現在の司祭と同じく聖務日課で 決められた祈りが、時間に従ってラテン語で唱えられていました。ところが労働修道士は、初めの頃は、文字が読めない人もいて、聖務日課の代わりにアベマリ ア何十回、主の祈り何十回、栄唱何十回という規則に従って毎日を送っていたようです。

 

 そのうちに工夫する人が現れ、指だけで数えて間違えてはいけないと言うことで、最初は細長い木に窪みを入れて、数えていたのかもしれません。私はそうい う木をベネディクト会の修道院で展示されていたのを、イタリアで見た記憶があります。その後、あくまでも想像ですが、持ち運ぶのに不便だったからかもしれ ません。紐に結び目を造りそれを爪繰っていたのが、現在の形になっていったのかもしれません。

 

 余談ですが、私の母もマリアさま大好きの人でした。何を思ったのか「フランシスコ会の第3会」に入り、7連のロザリオをよく祈っていました。アシジの聖 フランシスコの初期の会則には、司祭ではない修道士は、それぞれの聖務の代わりにアベマリアを70回唱えなさいと書いてあったようにも思います。それで母 の7連のロザリオを見た時妙に納得したのかもしれません。

 

 そうやって発展してきたロザリオも、時代が変わると一般の人たちは、アクセサリーとしてロザリオを首にかけて歩くようになってきました。テレビのドラマ でシスターの格好をした人が、堂々とそういう格好していましたし、イタリアでもそういう格好をして観光している人たちと出会いました。

ロザリオは、今も昔と変わらぬ祈りの道具なのです。アクセサリーでもありません。聖母マリアさまに対して今必要な取次ぎを求める祈りの聖具なのです。大切にしていつもロザリオを唱えていきたいと思います。


復活を意識した日々を過ごしていますか?

                                                                         山口 道晴

 

 無事に卒業式が終わりました。毎年この卒業証書授与式で、一人で感動している自分がいます。この1枚の卒業証書をもらうために、6年間を紆余曲折がありな がら、ようやくたどり着いたのだと保護者も、本人もすごく感動しているだろうなと今年の卒業式の間中考えていました。

 

先日、13歳の少年が殺され河川敷でそれが見つけられたことが、新聞・テレビで大々的に報じられました。昨日のニュースでは、主犯の18歳の少年は、「人気があって、友達のたくさんいるあの中学生が、羨ましかった」という供述をしていることを知りました。

 

前向きに人生を考える時に、「なぜ自分には友達がいないのだろう?」「なぜ自分は、ちゃんとした人間関係が結べないのだろうか?」「あの中学生が持ってい て、自分にない物は何だろうか?」「どうすればあの中学生が持っている何かを身につけることができるだろうか?」等々考えられなかったのだろうかと考えさ せられました。そして現代はそういう人間関係が結べない子どもたちが増えて来ているのです。

 

今年の卒業式の聖書の箇所にこういう御言葉がありました。「あなた方に幾らかでも、キリストによるはげまし、愛の慰め、“霊”による交わり、それに慈しみ や憐れみの心があるなら、同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、私の喜びを満たしてください。


何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって互いに相手を自分より優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。


互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにも見られるのです。」(フィリッピの教会の信徒への手紙2章1節~5節)
パウロが書いた手紙の中から選んだ箇所ですが、本当に自分を見つめ、自分が徳ある人間となるために、今日どのように人と関わって来たのかと言う自分の一日をふりかえる糾明(心の小さな過ちを反省する)が求められています。

 

ただ一日が自分にとって楽しく、何の心配もせずに過ごせるならそれ以上に幸せなことはないのかもしれません。しかし、心の成長はそこで止まってしまいま す。面白くおかしく過ごせない日々には、自分は不幸だと思ってしまう可能性もあります。しかし、苦しみは人間の心を育てますし成熟させます。そのために も、自分に与えられた状況をよく吟味し、考えて、「どうすれば良いのだろうか」という疑問を持つときに新しい展開が始まるのでしょう。

 

どうやら、徳の問題は、事件を起こした人間だけに言えることではなく、我々一人ひとりにも言えることではないかと思います。日々の生活の中で、人間関係の 中で妬みや僻みや、憎しみの中で生きるよりどう改善して生きて行くかと言うことを考え始めるのが普通の人間ではないかと思います。

 

ところが、きちんとした人間関係に生きていない人、神様との関係に気が付かない人は、「悪いのは自分ではない、周囲が悪い、あいつが悪い、皆もしているの にたまたま見つかってしまった自分は不幸だ。」と自己弁護にだけ走るようになっていくのではないでしょうか。それは残念ながら一部の人だけの問題ではな く、現代の社会が持っている一つの病巣のような気がしています。

 

ふとマリアさまについて考えてしまいます。色んな出来事を通して彼女は「心に深くとどめていた」という言葉が聖書にたくさん出てきます。ただ留めていただ けではなく、深く考えていたのだと思います。考えて、考えて、その考えの上に立って謙虚になって人のために生きようとしていたのではないかとおもわれるの です。

 

謙虚な心を持つためには、自分の愚かさや弱さ、それに罪深さについても考えて行かなければなりません。パウロがわざわざ上のフィリッピ人への手紙の中で私 たちに勧めていることは、最終的に成熟した心を持つために必要最低限の事柄を私たちに教えているのです。人間関係の中でどう生きるべきか、人間としてどう あるべきかを語っていることは間違いないことです。

死ぬまで、私たちはこの“涙の谷”で心を鍛え、様々な出来事の中で深く考え、周りの価値観ではなく、自分の謙遜な価値観の中で自分の心を造り育てて行かなければならないのでしょう。そしてそれを教え続ける必要が在るのだとあらためて感じます。

 

この四旬節を無駄に過ごすことなく、今の自分をしっかり見つめながら歩みたいと考えています。また皆様が達成感のある聖週間とそれに続く復活祭を、より充実した日々を通して迎えられることを心より祈っております。


「四旬節」をどう過ごしますか?

                                                                                                                                                                                                                               山口 道晴

 

 キリ ストが復活しなかったら、その復活を信じなかったら、キリスト教は生まれていないと言われています。パウロも「死者の復活がなければ、キリストも復活しな かったはずです。そしてキリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなた方の信仰も無駄です。」(Ⅰコリント書15章13~14 節参照)。と言っているのです。私たちの信仰の原点は、復活なのです。

 復活祭の日まで46日間が「四旬節」と言われています。「復活祭を春分の日の後の最初の満月の次の日曜日とします」と紀元325年の第一ニケヤ公会議で定めています。その復活の日曜日から逆算して46日前が灰の水曜日となります。 

 ヨナ の物語にもあるように、旧約の昔から罪を悔い改める者は、自分が悪かったことや罪を認めて心を改めると言う意味で、頭に竈の灰をかぶり上着の胸の上の部分 を裂いて泣きながら、悔やみながらこの時を過ごしました。それが現在の「灰の式」として「四旬節」の初めに行われるようになったのです。

 余談ではありますが、この「灰の水曜日」の前の数日間をカーニバル(謝肉祭)として四旬節の灰の式に与る前に大騒ぎをし、肉を食べ踊り歌うのが習慣になってリオのカーニバルなどが有名になっているようです。

 さ て、この日から40日間が四旬節と呼ばれます。ただ、キリスト教もユダヤ教も安息日である日曜日は、聖なる日ですからその数には入れません。四十日間の四 旬節に含まれない日曜日が6日あることで、46日になっています。またこの時期キリストを信じる人たちは、断食をしたり、犠牲をしたり、困っている人や貧 しい人たちのために献金をしたりします。働いている人たちにとって断食は辛いものがありますので、働いて稼いだお金の何分の一かを、教会に捧げたり、カリ タスジャパンに特別献金したりします。知り合いの中にはお茶断ちしたり、コーヒーを我慢したりする人もいました。

 復活祭がなぜキリスト教の中心の思想であるかと言えば、人間は、生まれたら死ぬと言うこととが定められています。「なぜ人は生きるのだろうか」という問いかけがいつもあるのです。特に苦しみの時、老病死生という苦しみが最終的には意味あるものとなったのです。

 つま り、苦しみのない人生などないのです。苦しみがあるのが人生であり、いつもその苦しみから解放されたくてもがくのです。もがいても苦しんでも、一つ乗り越 えたら、また新しい苦しみが生まれるのです。生きていくことが難しいと感じる人もいるようです。ですがこの苦しみの意味こそ、十字架の上で亡くなったイエ ス・キリストの背負われた苦しみ、私たちの罪を背負って亡くなられた姿と重なります。「大丈夫ですよ。苦しみの中でもがき苦しめば苦しむだけ、イエスの十 字架の苦しみに近づけるのですよ」と教会は教えます。

 その 結果、父である神は、イエス・キリストを復活させたのです。同じように悩み苦しみの中で、不条理・不合理な世界の中で、死んだとしてもイエスと共に復活す ることが出来るのです。カトリック聖歌集の中に♪涙の谷にも花咲き乱れ香りもゆかしく喜び満たす♪というマリアさまの歌があります。この「涙の谷」と言う 言葉で表される現実の世界、この世の世界こそがあたりまえの世界なのです。でも信仰を持つ者にとって復活があると信じるがゆえに希望を持って生きることが 出来るのです。つまり、人間が苦しむのは、キリストと共に復活するための大切な条件なのです。

 たと えばキリストの十字架上での死の苦しみも、復活するためであり、その復活を持って神の救いのご計画は完成されたのです。すなわち神がアブラハムからモーセ を経てイエスに至るまで、神の存在を知らせ、神に従うように教えた旧約の歴史があります。新約のイエスの誕生を持ってその計画は、老病死生に意味を与え、 生きる意味をつたえたのです。

 つま り、四旬節は私たちキリスト者にとって、生きる意味と苦しみの意義を学ぶ大切な期間なのです。十字架の道行きも今私たちが感じている空しさや、先の見えな い不安をキリストの受難を追体験することによって、もう一度キリスト者として招かれた意味や、自分の生き方を見つめる大切な時にしなければならないので す。言い換えれば、「自分を正面から見つめる時間」を持つことかもしれません。

 ある 雑誌の中にこんな文章がありました。「私たちの喪失感の問題を理解する道を進む最初の一歩は、立ち止まることだ。中途半端に動きながら止まるのではなく、 完全に身動き一つせずに立ち止まるのだ。そして、それから自分が生きてきた一連の時間を、分刻み、秒刻みまで見つめ見極めるのだ。そして最後に、自分の内 で自分の名前を言う声に耳を傾けることだ。神は外にはいない。文字通り「存在」の中、つまり私たちの内におられる。すべての答えは内にある」これらの言葉 は四旬節の心のような気がします。


この一年をLet it be(主よあなたの思し召しのままに)の心を持って過ごせますように。


                                                                                                               山口 道晴

 

 新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。まだまだ未熟者ですが、主のみ旨の中で過ごす一年となりますようにお祈りください。

 去年のクリスマス黙想会では、「let it be」(主の思し召しのままになりますように)という言葉と「let it go」(ありのままに)という言葉を使って私たちキリスト者の在り方について、笠岡教会、玉島教会、三原教会でもお話をさせていただきました。

 

本当に私たちは、信仰をもって生きると言う時に、形だけの信者になっているのか、居場所として教会を利用しているだけなのかをよく考えなければなりませ ん。「let it be」をビートルズが歌っているように「知恵の言葉」として受け止めているのか、耳に心地よい言葉としてだけ受け止めているのか、その生き方を見てると分 かります。

 

 今年一年どのような一年にするかは私たちの心にあります。日本の新年は1月1日ですが、キリスト教会の新年は、待降節第1主日から始まっています。黙想 会もミサの中の説教もただ聞き流すだけでなく、これからの自分の生き方につながる聞き方、心の置き方が求められているのです。

 「どうせ何かを決心しても変わり映えのしない一年だから」とか「面白ければ聞くけど、面白くないから聞かない」という姿勢ではなく、キリスト者としてこ ういう点に気を付けてこの一年を生きて見ようという決心が必要なのではないでしょうか。その時に主日の説教を聞いて、み言葉を読み返して自分の生き方を考 える必要があると思ってほしいのです。

 

 教会は、信仰の先達者たちを、聖人として掲げていますが私たちの心の中では、「どうせ聖人になるくらいの人だから、私たちとは違った信仰の深みを持ちそういう生き方をした人たちだから、私たち一般信徒は、関係ないだろう」と言っているのではないでしょうか。

い いえ、聖人たちのほとんどが信仰に目覚め、神の言葉に目覚めるまでは、私たちと同じ一般信徒でした。もし、私たちと違うとすれば、み言葉について、生き方 について目覚めた時に、素直に神に従って歩もうとする心がありました。その心はどうすれば育つのでしょうか。現代のように新聞だテレビだ、インターネット だという時代に、非常にアナログなものですが「祈り」という古代キリスト教より伝わったオーソドックスな方法によってでしか育ってはいかないのです。

 

  か つて留学中に、アフリカ人の神父さんからごミサの招待を受けことがありました。ローマの郊外の庭で行われたミサでしたが、ほとんどの参加者が、腰蓑を付 けTシャツを身に着けての参加でした。男性の参加者の中には木で作った槍や、動物の皮を張った太鼓をもって参加している人もいました。司式を行う神父さん と共同司式の私たちは、祭服やアルバを身に着けての参加でした。

入祭の時、太鼓が鳴り響き、踊りが始まりました。そしてそれが10分ぐらいも続くのです。その間に祭壇の上に上がり座って待つのですが、その踊りと歌がミサの歌であり、祈りなのだと気がついて非常に感動したことを覚えています。

 

  形式的な祈りではなく、本当に神様との対話を行うこと。祈った後で心から神様に委ねる心(let it be)という心が生まれるまで練習しなければならないのでしょう。練習不足は、いつも神様は祈りを聞いて下さらないから自分の思った通りに生きよう (let it go)という心をさらに助長させるのではないかと思います。

 

  マリアさまに倣って、日々祈る練習を繰り返すことが私たちの今求められていることのように思います。この一年、去年と同じように過ごせれば幸せだと思う心 ではなく、病気になっても、年老いても祈ることが出来るキリスト者に成長できる年を目指してほしいと思います。

生きているだけで辛いこともたくさんあるでしょう。この世に希望を持てない時もあるかと思います。ですが神様がお与えになる試練を受け止めながら、キリス トと共に復活するという希望は失われることはないのです。その希望をマリアさまは、生涯祈ることを通して保ち続けられたのではないかと思います。

 

  良い一年となることが出来るように祈って行きたいと思います。


クリスマスの心


                                                                                                                                                                                                                                                         山口 道晴


 早いものでもう2回目のクリスマスを笠岡の教会で迎えることになりました。クリスマスは昔から人々の心を温める不思議な時だとも言われています。

もうずいぶん前のことですが、東京で淀川長治さんと言う有名な映画評論家の方と雑誌の編集長繋がりで懇意にさせていただいていた時に、彼から勧められたクリスマスの映画がありました。その当時の題名は「クリスマスの贈り物」というアメリカ映画でした。

ベンという優秀な科学者の男が主人公でした。彼には、奥さんも小学生の娘もいて外から見ると羨ましいほどの経済的にも豊かな幸せな家族でした。ある時、彼 に大企業から声がかかります。莫大な年収と地位を保証するという話でした。でも条件は、アメリカではなくオーストラリアの辺鄙なところに建てられた研究所 に行くことが条件でした。彼は何とかなるだろうと行く気でいます。

ところが、健康診断に行って、そこで病気が見つかりあとわずかな命であることを告げられます。彼は、愕然とし家族を捨てて、町の路上生活者の群れの中に身 を置き、慈善団体が準備してくれたパンを食べスープを飲み、地下道の隅っこに座って考え始めます。今までの生活について考え始めるのです。クリスマス前後 に尽きる命を、どうやって後悔なく準備すればよいのだろうかとか今まで一度も行かなかった教会に行けばそのことを教えてもらえるだろうかと考えて、教会で ミサに与り説教に耳を傾けたりします。

あと数日でクリスマスを迎えようとするとき、彼は家に帰り奥さんと子どもと最後の別れを告げに行くのです。奥さんにだけは、事情を説明しますが、子どもが 学校から帰って来る前に家から出て行ってしまいます。道の傍らで寒さに凍えている人に、自分の外套をあげ、ポケットにあるお金を分け与えます。そうやって 彼は、この地上での最後の場所として選んだのが教会でした。人々の祈りの中で死にたいと願ったのです。

彼は、静かな心で最期を待ちます。ミサが終わるころ後から来た人が彼を見て近づきます。そして耳元でささやきます。「あなたに謝らなければなりません。貴 方の病気は間違いでした。後で気が付いてお知らせしようと思ったのですが、病院が火事になりあなたの電話番号も一緒に灰となり、あなたを探しようがありま せんでした」と言うのです。

その後、彼は家に戻り奥さんと語ります。「今までの自分が、いかに空しいことを探し求めていたかが分かったような気がする。この世の成功のことで頭が一杯 だった。この世の幸せを求めることが当然であるように思っていた。だけど死を前にしたときすべての価値観が全く反対の方向にあることに気が付いた。」と言 います。

さらに「この世の幸せは、いつか終わる。終わらない幸せを教えるためにキリストは生まれたのだと分かった」と言ってこの映画は、終わります。

今考えると、ずいぶんとマイナーな映画だったようにも思います。ですが見事にクリスマスの心を言い当てているように思います。クリスマスは、自分自身の幸 せや家族の幸せだけを願う時ではないのです。幼子イエスが私たちのためにもたらしてくれたものに気が付く時なのです。もっとはっきり言えば、私たちの持っ ている信仰の価値と意味に気が付かなければならないのです。

信仰を持ったからと言って「お金持ちになれる」訳ではないのです。この世で言う「幸せになれる」訳でもありません。むしろ逆に「老・病・死・生」という四 苦の中でやけにならず人生を人のために生きることが求められているのです。クリスマス献金を行うのもそうですし、クリスマス奉仕を行うのもそういう意味が あります。

去年のクリスマスの黙想会のときにもお話ししたように思いますが、クリスマスケーキも、クリスマスツリーもクリスマスプレゼントも全部自分たちが幸せになるためではないのです。人を幸せにするための道具なのです。

イエス・キリストの誕生とその生涯は、クリスマスケーキのように自分の身を人に与えることによって与えられた人たちを天国の救いへと導きました。クリスマ スツリーは、もともと、貧しい人が食べ物に困った時にいつでもおいでくださいというしるしでしたし、旅人が道に迷わないために点けられたローソクの光でし た。クリスマスプレゼントは、人間同士のプレゼントの交換ではなく、3人の博士が幼子イエスによって救いがこの地上にもたらされたことを、感謝の心をもっ て捧げたプレゼントでした。

今年のクリスマスを私たちはどのように過ごすのでしょうか。クリスマスに、洗礼式と堅信式を行う予定です。洗礼式も誰かが教会共同体の一員となったという 目に見える喜びと共に、この世の価値観や自尊心を満たすためだけのものでもないのです。堅信式でもよく分かりますが、私たちの信仰を強めていただくので す。そこには教会共同体の中だけでも目立ちたいとか、教会のアクションに関わりたいと言う事柄だけでも困ります。本当に神に対する深い信頼と様々な苦しみ 悩みが実は救いに大きな意味を持っていることに気が付くことでもあるのです。本当の喜びに与れるように。より良く準備いたしましょう。