故ブラザー阿部のみことばのおすそわけ(74)

12月2日、マタイ福音書9章。
『「わたしに出来ると信じるのか」と言われた。
2人は、「はい、主よ」と言った。』 今日は、イエスによるこの2人の弟子の癒しについて
考えてみました。イエスの前に、2人の盲人が
叫びます。「ダビデの子よ、わたしたちを
あわれんでください」と叫びます。 そして、次の言葉では、「はい、主よ」に変わります。 イエスの癒しの恵みを感じた2人は、「主よ」に
変わるのです。イエスをより近く感じるのです。 わたしたちは、イエスに願い祈る時、赤ちゃんが、
お母さんに甘えるように、子どもがお父さんに
願うように、願わなければなりません。 自分の大切な息子の癒しを願う親、大切にしている
病気の僕のために一生懸命にそして、執拗にイエスに食い下がって願う主人。 イエスの裾にでも触れれば治ると信じて、群衆に混じってイエスに触れる出血症の女性。 聖書ではたくさんの癒しが行われます。執拗な願い、自分の癒しではなく、大切な人のため、
イエスが根負けするくらい、祈りを願う人びとが登場します。 わたしたちは、イエスに祈る時、このような祈り方も必要なのではないでしょうか。 わたしたちの願いが、主のみこころに叶うものであれば、必ず、神さまが、聞き入れてくださるでしょう。 すぐには答えは出なくとも、いつか、大きな恵みとなって…。