故ブラザー阿部のみことばのおすそわけ(48)

11月5日、み言葉のおすそわけ。ルカ福音書16章。
『ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実で
ある。』 今日は、この短い言葉を考えてみました。 イエスの言葉は不思議です。昨日の福音にも
ありましたが、『主人は、この不正な抜け目の無い
やり方をほめた。』 そして今日の、『不正にまみれた富について忠実で
なければ…』と。 一見、私たちには理解しにくい方法で教えを説いて
下さいます。 ここに、私たちの人生の歩みの中でのヒントがあると
思います。 イエスのみ心を知るチャンスは、いたるところに
隠されています。私たちは、それに気づくことが大切です。 生活の中で、気に入らない、また、悪人には近づかない、自分と気が合わない人を避ける、など。 私たちは、そのようにして、自分の生き方を自分で決めてしまってはいないでしょうか。 イエスのみむね、み言葉は、まさに、そこにあると思うのです。 毎日の小さな出来事、言葉に神さまのメッセージが隠されています。 自然の中に、小さなこどもたちの言葉の中に。罪に苦しむ人の心の叫びの中に、貧しい人の中に、
神さまの大切な言葉は隠されています。 毎日の生活の中で、いつも神さまの言葉を感じる恵みが与えられますように。 11月6日、み言葉のおすそわけ。使徒パウロの2テサロニケの教会への手紙2章。 『どうか、あなたがたの心を励まし、また、強め、いつも善い働きをし、善い言葉を語る者として下さるように。』 今日は、このパウロの言葉に心が強められました。 私たちへのパウロの言葉、勧めは、本当に私たちの心に真っ直ぐに伝わります。 それは、パウロ自身が経験し、主の恵みを確信しているからだと思います。 『すべての人に、信仰があるわけではないのです。しかし、主は真実な方です。必ずあなたがたを強め、
悪い者から守って下さいます』 パウロは、決して強い体を持っていたわけではありません。むしろ、体に病を抱えた丈夫ではない体で、
異邦人の偉大な宣教者となったのです。 そこには、キリストの大きな憐れみと恵みがあったのでしょう。 あのような宣教の力の源は、そこにあったのでしょう。 決して、パウロの力ではありません。むしろ、パウロは、自分のすべてをキリストに委ねたことで、
偉大な宣教者になり得たのです。 自分の持っている能力は弱く、小さい。そして、その貧しい体にこそ、神の力は働いたのです。
まさに、『弱さの中の力』です。 私たちは、自分の弱さに嘆くことはありません。何度も倒れてしまう自分だからこそ、
神さまは、たくさんの恵みを注いで下さることを信じて、歩みたいですね。