12月11日、待降節第3主日。イザヤの預言35章。
『そのとき、見えない人の目が開き、聞こえない
人の耳が開く。そのとき、歩けなかった人が
鹿のように舞い上がる。口の利けなかった人が
喜び歌う。主にあがなわれた人々は帰ってくる。
とこしえの喜びを先頭に立て、喜び歌いつつ
シオンに帰り着く。喜びと楽しみが彼らを迎え、
嘆きと悲しみは逃げ去る。』
今日は、この「待つことの喜び」について考えて
みました。待降節は、主の訪れを準備して待つ
大切な期間です。心を清め、犠牲を捧げて待つ
時です。でも、その先に私たちのためにすべてを
準備して下さった神の恵みの大きさは。計り知れ
ません。すべての苦しみ、悲しみが慰みに変えら
れるのです。「待つ」ことの大切さを感じます。私たちの苦しみが、実際に癒されなくとも、心に希望の光が
指し込められるのです。私たちは、希望があるからこそ、どんな困難にも、主に信頼して歩むことが出来るの
です。「希望は忍耐を生む」パウロの言葉と思います。ですから、どんな困難にも、主に信頼して歩めるのです。
拝領唱に、こうあります。人々に告げよ、「恐れることはない。神は私たちを救いに来られわる。」
主に信頼してその日を待ち望みたいですね。