故ブラザー阿部のみことばのおすそわけ(51)

11月9日、ラテラン教会献堂の祝日。ヨハネ福音書2章。
『このような物はここから運び出せ。わたしの父の家
を商売の家としてはならない。』 今日は、このイエスの言葉に心を留めました。 イエスが大切にされた神殿、それは、神の言葉であり、キリストの体です。 教会は、建物ではなく、キリストの心です。
そのことをとがめられたのです。 この箇所を読むと、いつも思い出すことがあります。 私は、30年以上、教会での宣教販売に携わって
来ました。今も続いています。 日曜日、教会で販売の準備をしていると、毎年、
1度~2度、この箇所が読まれる日に販売があたり
ます。何か後ろめたい(笑)気持ちになります。 もちろんそんな気持ちは無いのですが、神の国の宣教
とはいえ、具体的には、この箇所に当てはまるように思うからです。ただ、良い思い出があります。大阪教区の
私の大親友でもあり、大変尊敬していた、ある宣教師の神父さまの教会を訪れた時です。 私が販売の準備をしていると、そばに来られて、暖かい笑顔で、毎回こう言われるのです。 『ブラザー、聖なる商売、頑張って!』と。この言葉とその神父さまの笑顔は、私の宣教の支えです、そして、
今でも忘れません。残念なことに、その神父さまは、60歳になる前に、天国に旅だちました。今は、天国で
私を支えて下さっていることと思います。私たちの生活の中の、毎日の出来事、出会い、働き、奉仕、活動、
そして、祈りでさえも、『聖なるもの』でなければなりません。私たちの生活を、もう一度振り返りましょう。 私たちの出来事は、神さまによって、聖なるものに変えられるのです。でも、それには、私たちの思いが必要です。 『主よ、今日1日、私の言葉、行い、出会い、祈り、すべてを聖なるものとしてください。』という、祈りを、
朝に唱える習慣をつけることをお勧めいたします。 私も、その時から習慣づけようとしていますが、忘れてしまいます。また、明日から唱えたいと思っています。 皆さんが、この分かち合いによって、何か小さなヒントが得られることを、心から祈っています。