10月22日、み言葉のおすそわけ。ルカ福音書13章。
『ご主人様、今年もこのままにしておいてください。
木の回りを掘って、肥やしをやってみます。
そうすれば、来年は実がなるかも知れません。
もし、それでもだめなら、切り倒してください。』
今日は、このイエスの例え話からです。
この例えの中では、イエスの、わたしたちに対する
あわれみが示されます。
罪深く弱いわたしたちの回心を、いつまでも待ち
続けるイエスがおられるのです。
そして、この例え話は、わたしたちの中で、
神さまの深いあわれみとなって広がっていると
思います。
この、辛抱強く待っておられる園丁は、イエスです。
自分の十字架の苦しみと復活を通して、私たちの救いを約束して下さったイエスです。
わたしは、こう思います。
これは、わたし個人の解釈ですが、園丁は、私でもあるのです。
そして、神さまのために働こうとするすべての人に、神さまをまだ知らない人も、園丁になり得るのです。
私たちは、たくさんの人の中で生きています。
自分一人ではなく、支えあって生きています。
自分の事よりも、相手を大切に思うことを、神さまは望んでおられます。
この園丁(イエス)の使命を、私も実行しなければなりません。
救いをすべての人と分かち合うこと、辛抱強く、相手の回心をを待ち望むこと。
神さまが、私たち一人一人を許して下さったように、わたしたちも人を許すこと、忍耐を持って、
出会う人々を神さまの元に導くこと。この心をいつも持っていたいですね。
神さまは、すべての人の救いを待ち望んでいるのですから。
明日、年間第30主日、使徒パウロの2テモテの教会への手紙4章。
『わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走り通し、信仰を守り抜きました。
今や、義の栄冠を受けるばかりです。』
今日は、このパウロの確信に満ちた言葉を選びました。
第一朗読も、福音も、分かち合いたいテーマで一杯でした。
でも、やはりパウロ会で歩む私は、大切なパウロの言葉を選びました。
今日のこのパウロの言葉は、私の目標です。
と言っても、まだまだ到達しえない目標です。生涯かけても難しいです。
この言葉のように、生涯を生きて、神さまの前に立つ時に、このような言葉を胸を張って言うことが出来たら、
どんなに素晴らしいことでしょうか。
このパウロのように生きられる人は、ほとんどいないと思います。
でも、皆さん、心配しないで下さいね。この言葉のあとに続くパウロの言葉に、「わたしだけでなく、
主が来られるのをひたすら待ち望む人には、『誰にでも』授けて下さいます」と。
そうです。弱さの中に罪に倒れ、転びながらも、「主か来られるのを、ひたすら待ち望むこと」が大切なのです。
一生懸命生きた自分の生涯すべてを、神さまのみ前に差し出すことです。
慈しみ深い神さまは、必ずわたしたち一人一人を包み、天の国に招き入れて下さいます。
そのためには、私たちに「謙遜の心」が必要です。自分の弱さ、小ささを知り、そのすべてを持って
神さまに従って生きることが大切です。
福音では、『神さま、罪人の私を憐れんで下さい、」と叫ぶ徴税人の姿が語られます。
パウロは、自分の弱さを知り、神さまにすべてを捧げて生きたことで、栄冠をも受けたのです。
私たちに一人一人にも、神さまは栄冠を用意して下さっています。
それを目指して、天国への道を、生涯をかけて歩んでいきたいですね。