みことばのおすそわけ(10)



9月25日。ルカ福音書16章

 

「子よ、思い出してみるが良い。お前は、生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今はここで慰められ、お前は悶え苦しむのだ」

 

今日は久しぶりに福音書に戻ります。この箇所もよく知られた箇所でわかりやすいたとえです。

 

生きている間に良いものを得ていた金持ちと貧しいラザロ、この二人の天国での対比が読まれています。この世で苦しむものが天国で報いを受け、金持ちが炎のなかで苦しみを受ける。

 

わたしたちは、貧しく苦しみのなかで生きれば、永遠の喜びに入るのでしょうか。そういう意味ではないと思います。確かに、貧しく、苦しむ人の方が天国に入りやすいかもしれません。大切なのは、自分の才能、能力、そして、持っている富をどう使うかだと思います。この世界で、富む人、力のあるものが、貧しく、弱い人のために心を向け、手を差し伸べる世界であれば、神の国の平和の実現は近いと思います。そして、世界から争いはなくなるでしょう。

 

昨日話しましたが、神からいただいたすべての恵みをすべてが自分のものではなく、与えらえたものとして、神さまの栄光のために用いること。貧しい人は、神さまの恵みを心と体で感じることを大切に感謝して生きること。そして、すべての人に、神の愛を伝えることができることを感謝して歩むことです。

 

今日もアレルヤ唱にピッタリの言葉が歌われます。

「アレルヤ、アレルヤ、イエス・キリストは富んでおられたのに貧しくなられた。あなたがたがキリストの貧しさによって富むように。アレルヤ、アレルヤ」

 

明日もキリストの貧しさを生きることができますように。


1月16日に帰天されたブラザー阿部真理は、昨年から「みことばのおすそわけ」として、

メッセージを最期の数日前までラインで配信してくれていました。帰天される4カ月前

9月15日からのメッセージをここでみなさんと少しずつ分かち合いたいと思います。