1月16日に帰天されたブラザー阿部真理は、昨年から「みことばのおすそわけ」として、
メッセージを最期の数日前までラインで配信してくれていました。帰天される4カ月前
9月15日からのメッセージをここでみなさんと少しずつ分かち合いたいと思います。
明日、9月15日、悲しみの聖母の記念日。み言葉のおすそわけ。ヨハネ福音書19章
「イエスは、母と、そのそばにいる愛する弟子とを見て、母に『夫人よ、ご覧なさい。
あなたの子です』と言われた。それから弟子に言われた。『見なさい。あなたの母です』」
今日は、私たちの母である聖母マリアについて考えてみました。
『悲しみの聖母』の祝いは、イエスの十字架称賛の次の日に祝われるように、十字架の
元にたたずむ聖母マリアの姿の箇所が選ばれています。
聖母マリアの生涯には、七つの苦しみがあったとされています。光栄ある救い主イエスの
母となることには、大きな苦しみも伴うのです。
この十字架上のイエスの二つの言葉によって、正式に聖母マリアを人類の母として頂くの
です。聖書には書かれていませんが、
「この母にすべてを委ねなさい。聖母マリアに祈る、私たちの祈りのすべては、わたしに必ず届きます」
それだけ、イエスとマリアの心はひとつに繋がっているのです。
私たちそれぞれに与えられた十字架の苦しみは、本当に辛いものです。でも、苦しみも悲しみも何も無いとしたら、私たちのこの世の歩みの意味はどこにあるのでしょう。
イエスは、自ら、十字架の苦しみの意味を、示してくださったのです。わたしたちは、自分に与えられた十字架の意味を悟り、もし、その十字架を愛し、感謝することができたなら、なんと素晴らしいことでしょう。
昨日から、十字架の意味という重い話が続きますが、でも、この苦しみが神様から与えられなかったとしたら、……考えてみましょう。
周り人の苦しみには無関心、自分の喜びだけに楽しみ、神さまからの恵みに気づくことの無い、意味のない人生になってしまいます。
神さまが模範を示してくださった十字架を背負うこと、聖母マリアが生涯をかけて捧げた
十字架の意味を私たちもほんの少しでも感じ、歩むことができますように。
周りの人の十字架に皆が感じることが出来たなら、今、世界で起こっている戦争はありません。共に祈りましょう。平和のために。