聖母マリアの月によせて②

コロナ渦の中で考える 8   -マリア様の月によせて②-                   2021年5月11日    

アイルランドの守護の聖人で聖パトリックという方がいます。彼は、イギリスで生まれています。両親は熱心なカトリックの信者でしたが、16歳の頃、アイルランドの海賊に拉致されてアイルランドで羊飼いとして6年間にわたって厳しい生活を送っていたときに、彼は神の声を聞き、お告げに従って牧場から逃げ出し300キロを徒歩で歩き、故郷のウエールズに帰ったと言われています。その後神学を学ぶためにヨーロッパに渡り、司祭に叙階され故郷に戻っています。その時に、自分は「アイルランドの改宗という使命を神様から与えられている」と家族に話しますが、家族は大反対したそうです。それから単身アイルランドに渡り、ドルイド僧たちが守っていた太陽を拝む宗教から、まことの宗教であるキリスト教カトリックの教えを広めたという聖人です。その聖人は後に司教となり、「巡礼の霊性」という霊性を打ち立てています。この「巡礼の霊性」で聖パトリックが教えた歩きながら、黙想をしながら「ロザリオ」を唱えながら歩くことを教えています。つまり、24時間祈りの中で生活することによって、いつも聖霊と共に、イエス様と共に歩いているという信仰を教えようとしたのだと思います。

「その霊性は、歩きながら祈るという日常生活の中で、誰でもできる神様と関わる祈りの世界をアイルランドのキリスト者に教えた。その祈りは、ロザリオという形で今もアイルランドの人々に受け継がれている」とアイルランドの修道院でそこの院長であった神父様から聞いた記憶が残っています。

私たちは、ミサの前にロザリオを唱えています。聖パトリックが教えた「日常生活の中で祈ること」という事柄に繋がって行きますが、祈りとは教会の中でだけするものではないようです。私の母は、仕事が一段落すると、家に戻って来れるときは家庭祭壇の前で、畑仕事から戻れないときは、一人でロザリオを爪繰っていたというごく普通の記憶があります。マリア様が大好きだった人でしたが、「いろいろな問題があるとき、心が苦しいとき、子どもたちと意見が食い違ってしまったとき」にいつも祈っていました。もちろん朝・晩の祈りは家族一緒でした。

マリアさまの話を上で使徒言行録から引用しましたが、マリアさまもいつでも祈っていた方ではないかと思います。自分の思いだけではなくいつも神様の助けを願って、あるいは聖霊の助けを願って、神様のみ旨を追い求めながら祈っていたのだと思います。私たちは、マリアさまに倣ってまず祈る習慣を身に着けることから始めなければなりません。ミサの典礼はすべてが「祈り」なのだということを、私たちは知っています。ミサにあずかりながら、まったく心は別のところにあったり、早くミサが終わらないだろうかと考えたり、単に信者としての義務だから日曜日にミサに来てるんだとか考えたりしていないでしょうか。

心を込めてミサにあずかる練習を繰り返すとき、私たちの心に変化が起こってくるとアルスの聖者ビアンネーは言っています。彼もまたアルスの街の教会の主任司祭だったのですから。信者一人ひとりの救いを案じ、一人も天国の道を踏み外さないように心配し、いつもロザリオを手に持って祈っていたという事が伝記にも明記されています。私たちの信仰の種蒔きとみ言葉の成長を助ける方法は、祈りしかないのだろうと考えてしまいます。そしてイエス様の時代から私たちに祈ることの大切さを教えてくださったのがマリアさまなのです。

 受胎告知、イエス様を探して神殿でその姿を見出したマリアさまとヨゼフさま、カナでの婚宴の時のマリアさま、十字架のもとでわが子イエスの苦しみを共に受けられたマリアさま。そして最後に、共に熱心に祈られているマリアさまの姿に、私たちキリスト者が大切にしなければならない心があるようにと思われてなりません。日々の祈りの練習、ミサにあずかるときの集中力もまた信仰を強め、日々神様に委ねる力になるのではないかと思います。

力になると言えば、私たちがミサにあずかり「ご聖体拝領」をするとき、私たちはそこから大きな力と、宣教の使命と、祈る力をいただくのです。その力がより大きな成果をもたらすためには、マリアさまが教えてくださった祈りをもって神様との関りを深めていなければならないのだと思います。いつも私のそばに神がおられ、私のすべてを導いてくださるという深い確信があってこそ、ご聖体が私たちにもたらす力が増すのだと思いますし、このミサの力は、私たちに次のミサにあずかるまでの力を与えてくれるのです。

 

「マリアに倣って、マリアと共に」という表題の本があったように覚えています。考えてみますと、言葉の意味は重大です。マリアさまに倣って、自分自身の問題が起こるたびに深く沈黙のうちにマリアさまのように祈ることの大切さを学び、黙想し、すべてを神様のみ旨の内に委ねること。そしていつもマリアさまが、子であるイエス様に取り次いでくださるように、「マリアさまと共に」マリアさまのように熱心に祈るべきではないかと思います。日々の生活がすべて祈りとすることは難しいと思いますが、それに向かって歩む五月の一月でありたいと思います。