みことばのおすそわけ(3)

9月17日、みことばのおすそわけ、使徒パウロの1コリントの教会への手紙15章

 

「蒔かれるときは朽ちるものでも、朽ちらないものに復活して蒔かれるときは、卑しいものでも、輝かしいものに復活し、蒔かれるときには弱いものでも、力強いものに復活するのです」

 

今日は、福音書かパウロの手紙か迷ったのですが、読んでいて、この二つの聖書に共通点を見つけたので、パウロの手紙から考えてみました。

 

卑しいものでも輝かしく、弱いものでも強いものとして変えられる。本当にイエスによって私たちは新しくされることを感じました。

福音書では、種まきのたとえが話されます。これは、わたしの解釈ですが、この箇所を読んでいて、気になったところがあります。主人によって蒔かれた種だけが、実り、主の祝福をうけるのでしょうか。少し疑問を感じました。わたしなりに考えてみました。神はすべての人を救うためにこの世に来られました。すべての人が神の救いに預かるよう神は永遠の命を約束されているのです。

 

 道端、石地、枯れた土地、茨の中、すべてはわたしたちに残されている苦しみです。決して良い土地に蒔かれたからよい実を実らせるとは限りません。もしかしたら、厳しい土地に蒔かれた人も一生懸命神のみ言葉を聞き、努力し、天の国を得ることができると考えるのです。どんな困難があっても手を差し伸べてくださる。神がおられると信じるからです。

 この世の苦しみは決して無駄ではありません。苦しみが恵に変わるとき、神の豊かな愛を感じ

「よく頑張ったね」とほほ笑む神に出会い、天の国に導かれると思うのです。

 

 さあ、今日も苦しみを恵として受け取り、歩むことができますように