山口地区長からのメッセージ

コロナ禍の中で考える~四旬節について~

 鳥取地区主任司祭でもある山口道晴地区長から、四旬節について

メッセージをいただきました。

 地区広報室Facebookで少しずつご紹介している内容をこちらでは

全文掲載させていただきます。

 恵深い四旬節をどうぞお過ごしください。

                

                         灰の水曜日

             2021年2月7日    

 

 3年目にして知る鳥取の冬の厳しさを、いやというほど感じさせられている去年の終わりから今年に入ってからの毎日です。

 

さて現在一人の求道者の方と勉強会を行っています。12月の半ばに一緒に「神の御子」(Son of God)を見ました。キリストの降誕(クリスマス)の場面から始まって、最後は「主の昇天」で終わる2時間近い映画の鑑賞でした。たぶん一緒に見た求道者の方は、何が何やら分からなかったことと思います。私は、去年まで大学で生徒たちにその映画を見せて感想文をレポートとして提出させましたが、ほとんどの生徒が理解できなかったようです。

 

でも、中高生の頃に「キリスト教を学んだ」という女学院(広島にあるプロテスタントの学校です)出身者の女性が、「先生、私、高校時代にこの映画を見ました」と言い出しました。「初めて見たときは何が何やらよくわからなかったのですが、今見てみると、イエス様のいろんなことが分かってきました」。と言って素晴らしいレポートを書いてくれました。要するに一度勉強したからすべてが分かるのではなく、何度も勉強を繰り返すことによって、理解は深まるのではないかと感じています。約4名の方が今、木曜日の勉強会に参加してくださっています。さらに信仰が深められ、その信仰が日々の生活の支えとなることをいつも祈っています。

 

今年は、217日が灰の水曜日にあたります。少し早いようですが今年は、この日から「四旬節」が始まります。クリスマスは、1225日と決まっています。しかし、四旬節、復活祭はその年によって変更になります。ですがクリスマスが1225日にお祝いされるようになったのは、復活祭のお祝いを何時にするかということが決まったずっと後のことでした。もともとキリスト教が始まったのは「復活したキリスト」と弟子たちの出会いからです。

 

復活祭を定めるにあたって古代キリスト教会の中でも論争がありました。第1ニケヤ公会議の時に(325520日~619日まで)「321日の春分の日、当日、あるいはそれ以後の最初の暦の上での満月(新月から数えて14日目)後の最初の日曜日を復活祭にするようにと定められています。またこの日をもって種まきや農作業を始める基準にしたとも言われています。

 

 

 四旬節の「四旬」とは40日を指し示しています。217日から44日まで数えると46日あることに気がつきます。教会は日曜日が「主の復活」を記念する大切な日ですから日曜日を外しますと丁度40日になるのです。46日前が今年は217日です。もともとこの期間は復活祭を準備するものであると言われています。しかし、聖週間(紀元29年頃にローマ帝国によって支配されていたユダヤの属州で起こったイエスのエルサレム入城から受難と死までを記念する一週間)を準備するものであることがより正確なことであるのかもしれません。

 

40という数字は、旧約聖書の中では、特別な準備期間を指す言葉です。たとえばモーセが民を率いて40年間荒れ野を彷徨ったと書かれています。ヨナがニニベの街で語った言葉も「もし回心しなければ、40日後にこの町は滅びる」という預言でした。新約聖書では、イエス様は公生活に入る前に40日間荒れ野で過ごし、断食しています。このように40という数字は、キリストの苦しみと死と復活を準備するにふさわしい数なのです。

 

また初代教会の歴史を見ても、様々な40という数字がこの四旬節の期間に準備されています。初代教会では復活祭の前に40時間の断食を義務付けていますし、復活徹夜祭には成人の洗礼式を行うのが伝統でもありました。そこでもまた初聖体に備えて40時間の断食を行っていたという記録が残っています。

 

 

カトリック教会においても、聖体拝領の前には前日の土曜日の夕食後から水も取ってはならないという習慣がありました。(私は、小学生の頃、日曜日の朝早くに枇杷の木に登り、枇杷の実を一口食べたとき、母親に見つかり、聖体拝領を禁じられてしまったことがありました)。外国人宣教師たちがご聖体に対する崇敬を教えるために定めたことかもしれません。3時間前までに、飲んだり食べたりすることを止めなければならないという教会の掟は、いつの間にか2時間前、1時間前までと変化してきました。【1時間のミサ前の断食は(教会の掟は)、現在も変わっていません】。

 しかし、その時間を守るか守らないかが大切なことではなく、大切なのはその心です。ご聖体拝領が私たち信者にとっていかに大切で、私たちの信者としての心を育てる信仰の中心に来るものだということを理解させるための教えであったように思います。ご聖体拝領の前に断食して、緊張感をもって拝領する意味は一つしかありません。ご聖体拝領を通して次のご聖体拝領まで、王職(人々に奉仕すること、仕えること)、祭司職(聖なるいけにえの祭儀に司祭と共に預かり、信仰の中心であるご聖体拝領を行うこと)、預言職(いただいた御言葉を言葉と行いをもって、キリストを知らない人に伝えること)を教会の外で果たす事にあるのです。その力をご聖体拝領を通していただくのです。

 

 

話しを四旬節に戻します。前述した初代教会は、洗礼志願者に初聖体に備えて40時間の断食を命じていたと書きましたが、この40時間が6日間に延長され(理由ははっきりとはわかりません)、最後には6週間の洗礼準備期間が定められました。ですからこの四旬節は洗礼を受ける求道者のために設けられた期間であるとも言えそうです。もちろん洗礼を受けた私たちが洗礼の恵みを思い起こし、もう一度洗礼を受けた者として神の方に心を向けなおす(回心)期間でもあります。4世紀になってキリスト教がローマ帝国の国教になったときに、洗礼志願者の数が激増してきました。それで一人ひとりに十分な準備が行き届かなくなり、教父たちは全信徒にも復活前の節制の期間を共に過ごすように求めるようになったというのが「四旬節」の起源だと言われています。

  「四旬節の大斎・小斎について」

 

 四旬節には、伝統的に食事の節制が行われ、償いの業が勧められていました。祈り・断食・慈善の三点が奨励されたという教会の伝統があります。現代教会は、伝統にのっとり「三位一体の神に対する絶え間ない祈り」、「自分自身に対しての節制」、「他者に対する慈善(キリスト教的愛の行為)」が大切であると教えています。そして「大斎」・「小斎」が四旬節中には特に勧められています。大斎は、「灰の水曜日」と「キリストの受難の聖金曜日」に断食をすることを意味します。この断食は、一日中断食するという意味ではなく、3回の食事の内、一度は十分に食事を取り、一度は軽く食事をし、一度の食事は我慢する(断食する)というものです。

 

「小斎」は、毎週金曜日と灰の水曜日には肉を食べないことであると教会法には書かれていますが、肉を食べる国の人にとっては節制になるかと思いますが、肉を食べる習慣のない国の人にとっては、いつも食べているものを我慢するという小斎の守り方もあるかと思います。また各自の判断で償いを他の形で行うことも可能だと思います。他者に対する「愛の業」(慈善)、献金、祈りの業をそれにかえることもできます。また小斎は、14歳以上の信徒が守らねばなりません。60歳以上は守る義務はないと教会法は教えていますが、体力的に元気な方は是非行っていただきたいと思います。

 

 

かつてマレーシアに生徒(20名)を連れて姉妹校を訪問したことがありました。マレーシアの姉妹校の生徒の大半が、イスラム教を信じている生徒たちでした。丁度、訪問したときイスラム教の断食月(ラマダン)に当たっていました。彼らは、日が昇っている間は、水一滴のまず、私たちと関わってくれました。日が沈んで月が出て星が見えるようになってようやく食事をすることができます。宗教を信じて生きるとはどういうことかを深く感じ、考えさせられました。